ATAWI 家紋資料室

土地から読む / 周智郡森町

柏・桐・橘から、森の歴史を読む。

山内一豊の丸三葉柏紋、豊臣秀吉の桐紋、大洞院の寺紋・橘。町史の領地管理や寺領の文書と結び付けて読みます。

黒い羽織と保存箱、包み紙を描いた挿絵
家紋と、暮らしの記憶。

周智郡森町 / 領主と寺社・紋付と家族 / 資料確認 2026年11月5日

丸三葉柏紋――山内一豊と、森の蔵入地

森と山内一豊を結ぶのは、城主の名前だけではありません。1590年(天正18年)、一豊は5万石で掛川城主となり、豊臣氏の蔵入地だった森地域の管理も任されました。森町の『図説森町史』は、森地域を山内氏自身の領国と区別し、豊臣氏の直轄領を預かる関係として説明しています。一豊の家紋をたどる入口は、この領地管理の記録にあります。[1]

高知県教育委員会などの『高知城石垣野外博覧会』21頁は、一豊の家紋を「丸三葉柏紋」と記し、三枚の柏葉を丸の中に配した図を掲載しています。同じ頁には高知城三ノ丸の発掘・解体調査で出土した三葉柏紋の瓦も載っています。町史が記す一豊の行き先は、1600年(慶長5年)の土佐浦戸。森に関わった人物の紋を、その後の拠点に残る実物資料までつないで読めます。[2][1]

ここで紹介する柏紋瓦の出土地は高知城です。森で柏紋瓦が出土した事例とはせず、「森を管理した人物の家紋」と「土佐で確認できる瓦」を組み合わせた記録として紹介します。

桐紋――豊臣秀吉の土地を、誰が管理したのか

同じ『高知城石垣野外博覧会』は、一豊の柏紋と並べて、豊臣秀吉の家紋として桐紋を示しています。森地域と秀吉の接点を示すのは、先の蔵入地です。町史に掲載された所領図の説明では、一豊に与えられた5万石のほかに、一宮付近の1万石余を豊臣氏の蔵入地として預かったとされています。柏と桐は、この土地を預かる家と、土地の収入が帰属する側の家という異なる立場に結び付きます。[2][1]

町史は、1597年(慶長2年)には森町村周辺で検地が行われ、蔵入地の年貢が山内氏を通じて金銭または米で上納されたと説明しています。家紋を単に「この地方の大名の印」として並べるだけでは、この管理と収入の関係は見えてきません。森の歴史では、同じ土地に関わる秀吉と一豊の役割を分けて読むことができます。[1]

蓮華寺の判物に残る一豊、職人を支えた福岡忠勝

一豊と森との関わりには、寺に残る文書という具体的な証拠もあります。『図説森町史』は、高雲寺と蓮華寺に関わる寺領の寄進・安堵を紹介し、蓮華寺所蔵の山内一豊判物の写真を掲載しています。判物は花押を据えた文書です。図版の紋を探す資料とは役割が異なり、一豊が地域の寺領に関与したことを読む史料になります。[1]

森の職人との関係は、山内家の重臣・福岡忠勝が鋳物師大工衆に与えた文書から分かります。対象は3人の屋敷分518坪で、金屋役銭の納入を条件に、ほかの諸役の負担を免じたものでした。寺領、年貢、鋳物の仕事という三つの記録が、柏紋を用いた家と森の日々の営みを結び付けています。[1]

橘――大洞院の寺紋と、橘の地の伝承

森町橘の大洞院は、自寺の歴史案内に寺紋を橘と明記しています。同案内による開山は1411年(応永18年)の如仲天誾。禅師はその前、1400年(応永7年)に飯田城主・山内対馬守道美に招かれて崇信寺を開き、その後に橘の地で大洞院を開いたと伝えられています。ここでいう山内道美と、後世に森の蔵入地を管理した山内一豊は、別の人物として記録します。[3]

寺に伝わる橘姫の物語では、病に苦しむ姫が如仲天誾に出会い、禅師が錫杖で地面を打つと塩水が湧き、姫がその水を浴びたとされます。寺の案内は、この話を橘という地名、橘氏、如仲天誾、橘の寺紋を結ぶ伝承として紹介しています。これは寺紋の背景として語られてきた物語で、姫の実在や出来事の年代を確定した歴史記録としては扱いません。[3]

1995年、円田の盆人形に着せられた紋付羽織

大名家や寺の紋とは別に、衣服の使い方を伝える町史の写真もあります。「森の祭・かさんぼこ」に掲載された1995年8月の円田の盆人形です。説明には、亡くなった人を表す人形に、生前に使った紋付羽織を着せて正装させたことが記されています。紋付は、故人が身に着けた品として盆の場へ受け継がれていました。[4]

写真説明には紋名や着用者の家名はありません。一方で、場所・時期・衣服を使う場面は分かります。森の家紋の記録には、一豊のように名前と史料をたどれる事例と、円田の写真のように暮らしの場面からたどる事例の両方があります。

家のしるしを、次へ

土地の記録から、我が家の記録へ。

羽織の紋だけでなく、誰が、どんな場面で着たものかを聞き、話した人と日付を添えて残してみましょう。

記録は相談のお申し込みなしでも作成できます。記入内容は画面内で処理し、アクセス計測へ送りません。

住まいと、家の記憶

家を大切にするからこそ、
不動産を売却する。

家紋のある家を大切に思う気持ちは、住まいを手放したあとも続きます。
残したい紋付や写真、ご家族で集まる時間も含めて、これからを考えてみませんか。

富士ヶ丘サービスの窓口へ移動します。対象は磐田・袋井・掛川・菊川・御前崎・湖西・浜松の7市と森町にある物件。所在地でご確認ください。実家カルテは市町村・町名・番地(地番)と連絡先を用意してお申し込みください。

電話 0538-31-3308

記録用紙は相談のお申し込みなしでも印刷できます。地域外の方は、ご家族の記録を地元の相談先とのお話にご活用ください。

出典と、読み取れる範囲

  1. 森町「図説森町史 18 豊臣系大名山内氏」

    蔵入地管理、蓮華寺の一豊判物、福岡忠勝判物、所領図、入城一覧

    一豊と森との政治・寺領・職人支配の関係。文書の花押を家紋とは扱いません。

  2. 高知県教育委員会・高知県文化財団埋蔵文化財センター「高知城石垣野外博覧会」

    冊子21頁/PDF21頁「出土瓦と家紋」・山内一豊の丸三葉柏紋、豊臣秀吉の桐紋

    柏紋瓦の出土地は高知城三ノ丸。森の出土品ではなく、町史に記された人物との対応で紹介します。

  3. 橘谷山 大洞院「大洞院の歴史」

    開山の案内、寺紋は橘、「橘姫と塩井」

    寺院自身による寺紋・由緒の説明。橘姫の物語は伝承として紹介します。

  4. 森町「図説森町史 39 森の祭・かさんぼこ」

    「(5)盆人形」・1995年8月の円田の記録

    紋付羽織の使用例。紋名や現在の町全体の普及状況は記されていません。